思いつきな生活

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【うつ病経験者が語る】なぜ、うつ病になったか?自分なりに考察してみた

前回は、私のうつ病の発症過程をご紹介いたしました。

 

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今回は、「なぜ、自分はうつ病になったのか」についてをご紹介いたします。

 

原因の大きな要因は「仕事」です。うつ病は、家庭での出来事も要因になることがありますが、圧倒的に仕事が原因で発症する割合が高いです。

仕事のストレスは、質・量・人間関係・環境など多岐に渡ります。

仕事のストレスの統計調査(労働安全衛生調査)によると、男女別の回答がまとまっており、男女ともに「仕事の質・量」が最も多いが、それ以下は男女による違いがあります。

男性は、「役割・地位の変化」、「会社の将来性」の問題が多く、女性は、「対人関係」の問題が最も多いという結果になっています。

要するに、男性は仕事がらみ、女性は人がらみの問題が多いといえるのではないでしょうか。

 

先ほど、私のうつ病の原因の大きな要因は「仕事」と述べましたが、量よりは質の問題の方が大きかったと今は、考えております。

私は、4年前に係長に昇任したのですが、配属先がまったく畑違いの知識がまったくない部署だったのです。配属当初は、誤魔化しながら、何とか仕事をこなしていたのですが、どんどん専門的になっていき、うまく事が進まなくなっていきました。そして、上司、関係者からの指示などで板挟みになり、自身の考えが定まらない状態になりました。簡単な仕事で3時間もあれば解決できることが1週間以上かかってしまうなど、仕事が進まなくなってきました。それを繰り返していき、自分自身の能力がないからうまく解決できないんだという気持ちが強くなり、自分を責めるようになりました。そして、何をすれば、良い仕事ができるのか?というよりいかに上司や関係者に文句を言われないように物事を解決できるのかという目線で仕事をやるようになりました。これでは達成感もクソもありません、ただの苦痛そのものです。私の仕事のストレスって、楽しまないでやる仕事だと思うのです。楽しむ仕事はどんなに忙しくても疲れないです。

 

うつ病の原因は楽しくない、仕事。

周りの目を気にしながらの苦痛業務。

そして、その苦痛を発散が出来なかったことが主な要因であったと考察してます。

 

嫌いなことを延々と続けることがどれだけのストレスか?

 

そうして、苦痛の仕事を繰り返すうちに夜寝れなくなり、食欲もなくなりました。1ヶ月で5キロぐらい痩せたでしょうか。バランス良く食べることもうつ病予防には重要だと思いますが何より睡眠は必要不可欠ではないでしょうか。

 

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これで終わります♪

 

うつ病シリーズ、次は入院生活について書いていきたいと思います。

 

【うつ病経験者が語る】うつ病の発症過程について

うつ病は、気分が強く落ち込み憂うつになる、やる気が出ないなどの精神的な症状のほか、眠れない、疲れやすい、体がだるいといった身体的な症状が現れることのある病気で、「気分障害」の一つです。

 

気分障害と聞くと、何か大したことのないように思いますが、うつ病と聞くと大変辛い病気というイメージが私にはあります。

 

私は、約4年前に「うつ病」に罹患した経験があります。もう、そんなに経ったのかという印象ですが、当時は、絶望の渦の中にいました。

 

当時の様子を簡単に振り返ります。(うつ病の発症過程)

 

  • 2016年10月:仕事に追われ、心に余裕がなくなる。仕事ができないのは自分のせいだ、どうにか仕事を完結しなくてはと、自分を追い込んでしまい、毎日夜遅くまで、残業をしていた。残業でも仕事が終わらなかったので、家に持ち帰り、夜中、休日も部屋のデスクで仕事をし、寝ようと思っても寝れず、眠りについたとしても中途覚醒を繰り返し、寝不足のまま、仕事に向かう日が続いた。何をするのも億劫となり、苦しい日々が過ぎていったが、家族旅行に行った時に、自分の限界を超えてしまい、宿泊先のホテルで動けなくなってしまう。旅行から帰宅後も症状は変わらず、近くの心療内科を受診し、「うつ病」の診断が下った。主治医から1カ月は仕事を休んでくださいとの指示、正直「これで仕事からの恐怖、緊張から救われる」とほっと胸を撫で下ろす自分がいたのは、今でも鮮明に覚えている。 

     

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  • 2016年10月から2017年2月:療養生活 仕事を休んで緊張感や不安感が急激に薄れ、心身ともに回復した時期である。抗うつ剤の種類を変えた際に少しだけ体調が悪くなったが、それ以外に関しては順調で、発症から3ヶ月後に復職が決定した。

     

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  • 2017年2月から3月:復職からの慣らし勤務 復職を果たし、慣らし勤務も順調にこなし、さらに体調が回復した。意欲も徐々に沸き、うつ病発症前は興味もなくなった趣味も取り組めるようになった。

     

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  • 2017年3月から9月:慣らし勤務が終了し、通常勤務を開始した。徐々に仕事の負荷を上げていったが、少なからずブランクがあったようで、思うように仕事が進まなかった。一度、自信をなくした仕事であるというイメージが先行し、積極性・主体性もなくなり、さらに集中力も散漫になった。職場と相談し、負担があまりない部署への異動が決定した。
  • 2017年10月から2018年1月 負担の少ない部署に異動した当初は、晴れやかな気持ちで仕事に取り組んでいたが、仕事量が大幅に減ったことが原因かよくわからないが、喪失感が生じた。年明けから焦燥感が酷くなり、目眩、動悸などを含むうつ症状が再燃した。
  • 2018年1月から2月 焦燥感はさらに酷くなり、仕事を休むようになる。そして、主治医からうつ再燃を下され、就業禁止の判断がなされる。自宅で療養していたが、前回のように急激に良くなることはなく、職場の産業医から入院を勧められる。産業員からは、仕事には行っていないが、頭の片隅に仕事があると判断される。入院を勧められ、心療内科から大きな精神病院の転院し、入院するが、比較的短い期間で、退院をした。正直、入院の効果はあまりなく、うつの症状が良くなることはなかった。

     

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  • 2018年2月から9月 うつが良くなったり、悪くなったりを繰り返し、復職の目処はまったく立たなかった。産業医、主治医との面談を繰り返し、抗うつ剤、心理療法、電気痙攣療法などのいろいろな治療を試すが、劇的に良くなることはなかった。そしてひどい時はベットから起き上がることができず、食事も捕れないまま1日が過ぎるという日があった。
  • 2018年10月から12月 精神病院に入院した。外泊も多かったが、トータル3カ月間入院した。かなり症状は良くなったが、途中、仕事を辞めたいとの気持ちが強くなり、家族、主治医に相談したが、今は辞める時ではないと説得され、気持ちが吹っ切れて復職にむけたトレーニングを始める。12月末に退院した際は、かなり気持ちにも余裕が出て、復職準備を本格的に始めた。
  • 2018年12月から2019年2月 退院してからの症状は比較的落ち着いていた。日によって体調が悪い時もあったが、絶不調はなく、復職にむけての準備を進めていた。主治医とは体調が悪くても復職はすると決めていたので、すでに復職は割り切っていた。そして、復職、1年のブランク。当日、仲間に挨拶するときは、緊張というか、新人が挨拶をするような感覚であった。比較的、慣らし勤務も順調に推移し、再び休職することはなかった。
  • 2019年2月から6月 GWなど長い休みの後に体調を崩すことはあったが、長期で休む様なことはなかった。精神系の薬も徐々に減らしていった。
  • 2019年7月から2020年4月 古巣の部署に異動し、仕事をすることに喜びを感じるようになった。精神疾患にも興味を抱く様になり、メンタル系の資格を取得し、知見を広げた。仕事にやる気が出て、積極的に進んで仕事をするようになる。そして、主治医と相談し、精神系の薬がゼロになる(離脱症状に苦しんだが・・・)
  • 現在 仕事にやりがいを感じ、趣味も幅広く楽しみ、生きることに喜びを感じている。ただ、物欲が酷い・・・笑

 

 こんな感じで、推移してきました。この4年間色んなことがありましたが、当時は「なぜ自分が・・」と思っていましたが、今はこの経験を生かして、人生を楽しもうという気持ちです。そして、怖いものがなくなってしまいました。たぶん、一皮剥けました笑

 

 今回は、うつの振り返りでしたが、次回は「なぜうつになったのか?」をテーマにしたいと思います。

 

 読んでいただき、ありがとうございました。

 

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北海道大学前総長名和氏の解任について思うこと

 

令和2年9月2日に寳金清博氏が北海道大学の次期総長予定者になることが決定した。文部科学大臣の決定をもって就任となるが,覆されることはないだろう。

 

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仕事柄,このニュースは非常に関心のある出来事であった。

 

それは,なぜか?

 

そう,前総長である名和豊春氏が北海道大学総長の職を解かれた後の総長選考であったからだ。

 

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令和2年6月30日に、文部科学省から北海道大学総長選考会議議長あてに、同日付けで総長を解任した旨の通知があり、名和氏は総長の職を解かれた。

 

なぜ、その様なことが起こったのか?

 

理由は、文部科学大臣が国立大学法人法第17条第2項に規定する「その他役員たるに適しないと認めるとき」に該当するとしたからだ。

 

「その他役員たるに適しないと認めるとき」が何を意味するのか。

 

文部科学省は調査を行い(実際は北海道大学で総長選考会議の下に設置された調査委員会が行い、文部科学省に答申)総長選考会議が認定した30件の不適切行為のうち、28件が不適切な行為として認定された。これを踏まえて、文部科学大臣が国立大学法人法第17条第2項に規定する「その他役員たるに適しないと認めるとき」に該当するとして解任したものである。

 

不適格行為の具体的な主な内容は以下の通りである。(文部科学省としての事実確認の結果・文部科学省大臣官房人事課作成)

 (1)名和氏による言動に関すること

 →部下に対する威圧的な言動

 →威圧的な叱責

 →理不尽に翻す合理性を欠く発言

 →一方的で不適格な叱責

 →配慮を欠く発言

 →威圧的で品位と礼節を欠く極めて不適切な発言

 →相当性を欠く態様で叱責を行った。

(2)名和氏による北大の信用を失墜する具体的行為に関すること

 →北大の記念式典における、要人に対して非礼な対応

 →ANAラウンジにおける行為

(3)名和氏の総長および研究者としての問題行為

 →政府調達のルールを無視した不適切な業務指示

 →裁量の範囲を逸脱しての業務指示

 →研究者倫理に違反し著作権侵害する不適切業務指示

(4)その他の資質を疑われる行為

 →北大職員倫理規則違反行為

 →役職員の士気を低下させた

 →優柔不断な姿勢を示し、決定に遅延を生じさせた

 

上記(1)から(4)の不適格行為は、北海道大学総長選考会議の下に設置された調査委員会が調査をした結果である。

 

どのような調査がなされたのだろうか?

 

名和氏は、調査は「一度も弁明の機会がない」が設けられず作成されたものであると発言している。

 

もし名和氏の発言が本当であるのなら、調査委員会の調査は違法と言わざるを得ないと私は思う。

 

本来、調査(捜査)とは最低限、以下の手続きが必要と思われる。

被害者がいて、被害を訴える→被害者の訴えを聴取する→加害者の言い分を聴取する→両者の意見を元に関係者たちにヒアリング→証拠確認→判断、裁定

 

調査委員会は、被害の訴えと同程度に重要な加害者の言い分を聴取していないのだ。

そして、一方的に名和氏の非違行為を認定し、調査を終了させ、北海道大学総長選考会議に答申し、それを大筋認定し、文科省に総長解任を申し出たのだ。

冷静に判断すれば、明らかに調査方法に関しては瑕疵があり、国民も疑義を感じると思うが、今回はマスコミが本件を報じた際に「パワハラ行為」と大きく報道された。

パワハラなら仕方ない、自業自得だという印象付けが先行してしまい、名和氏が悪だということを国民に植え付けた結果、調査委員会の調査方法がおかしいとの声は上がらなかったのではないか。

 

この解任劇は、根が深く、今後も何かしらの影響はあると思う。

 

名和氏にも少なからず瑕疵はあったのかもしれないが、解任されるまでの行為には及んではいないと感じる。

 

私は、この件に関して非常に興味があり、今後もいろいろと調べて、思ったことを書いて行きたいと思う。

 

そして望むことは、真実を解明し、然るべき信頼できる機関(司法?国?)が正しい判断をすること、ただそれだけである(簡単なことではないか??)

 

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news.yahoo.co.jp

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クラーク博士は、この解任劇に何を思うのか??