元気、健康的、小学校のなんでもランキング100歳まで生きそうな人で第1位を取ったことがある、活発、明快だけが自慢だった。
もう、過去の話である。
ある歳を境に、この自慢が願望に変わった。
いつだろう?
就職してからか?
いや、結婚してからか?
正直忘れたが今の願望は、健康的な体を取り戻し、健やかな毎日を送りたいである。今年、第一の目標は「健康第一に生活する」と銘打っている。健康的な生活を営むためには、食生活、適度な運動、ストレスを溜めないことが必要だ。
食生活・・・、脂っぽいもの大好き!
適度な運動・・・、最近した運動、家の階段を2往復したぜ!
ストレスを溜めないこと・・・、溜まってないけど、絶賛うつ病中だよ!
うーん、このままでは目標を達成するどころか、悪化の架け橋をたくさん作っているだけだ・・。
自分にはない強い意志が必要だ・・・!
自分にはない、だと??
そう意志が弱いのだ、悪く言えばだらしがないのだ。だらしのある生活を送るには、どうすれば良いのだろうか?
・・・だらしがないから、どのようにしたら強い意志を身につけられるのかもわからない・・ん、末期なのか?
いや、私にはだらしのある強い奥さんがいる!
よし、協力してもらおう!
と、いうことで、奥さんの協力のもと、今年は健康的な体を取り戻したいと思います。
前置きが長すぎました・・・。
今日は、毎度のことで恐縮ですが、過去に罹患した病気のことを振り返りたいと思います。
過去の記事は、ご覧の通りです〜。
目次
前兆
忘れもしないあの日、雪がちらつく寒い日だった。
職場が自宅に近かったので、いつも昼食は自宅で食べていた。その日の昼食は、大好きなシーフードカレーだった。イカ、エビ、ホタテ、ホッキ貝(北海道では、シーフードカレーには大抵、ホッキ貝が入っている。)がたっぷり入っているシーフードカレー。
思わず、2回もお代わりをした。
休憩時間が終了し、満腹の状態で、歩いて3分の職場へ向かった。
午後1時から仕事開始。
この時期は、繁忙期で息をつく暇もないぐらい忙しかったが、テキパキと仕事をこなしていた。
午後3時過ぎ、突然、腹に違和感を感じた。
胃がムカムカする。差し込むような腹痛ではないが、ズシとした鈍痛。
「やべ、シーフードカレー食い過ぎたか。」と悔やんだが、痛みはどんどん強くなってきた。
とりあえず、うんこをしようとトイレに駆け込む、幸いなことにすべての大便所が空いていた。お気に入りの奥のトイレに座り、とりあえずリラックス。便意はまったくないが、腹の鈍痛は強くなる一方であった。
トイレに15分ほど居ただろうか。
吐き気、腹の鈍痛、目眩のトリプルコンボでトイレにいるのも辛くなってきた。
相変わらず便意はまったくなかったので、諦めてトイレを出て、オフィスに戻った。
オフィスに戻る途中、デスクの正面に座っている非常勤職員に会った。
自分の顔が真っ青だったらしく「顔が青いですけど、大丈夫ですか?」と声をかけられたが、痛さのあまり素っ気なく「大丈夫・・」と返した。
デスクに戻っても、トリプルコンボは治まらず、上司に体調が悪いことをを伝え、帰宅した。
帰宅後、鈍痛は幾分収まったが、吐き気、目眩は酷くなり、枕の麓にバケツを置いてベットに横になる。横になると眠気に襲われ、そのまま就寝。
時刻は7時過ぎだった。
真夜中の激痛
深夜1時。鈍痛、いや激痛で目が覚めた。
差し込むような腹の痛さ、痛さのあまりベットを転がり回る。
吐き気、冷や汗、激痛、目眩、これは尋常ではない。トイレに駆け込むが、便意はまったくない。
20分ぐらいトイレにいただろうか、腹の激痛は腰にまで及んできている。
嫁さんも私の異常に気づき目を覚ましたようだ。
嫁「大丈夫?」
私「大丈夫じゃない・・・。腹というか腰が尋常じゃないぐらい痛い。」
嫁「風邪かな?」
私「昼食べた、カレーが悪かったのかな」
嫁「(激怒)そんなわけないしょ!私も食べてけど、なんでもないし!何を言ってるの!」
私「(そんなに怒らなくても・・いいのに)そうだよね・・、胃腸炎かな・・、でも、腰も痛いんだよ、、とりあえず尋常じゃないから、救急病院に連れてってくれない?」
カレーが原因であるという私の言動に対する怒りは、私の冷や汗を見て収まったようだった。
嫁「わかったわ、じゃー病院に行く準備して」と嫁に促され、クローゼットからお気に入りのジャージをおもむろに取り出し、着替えた。
嫁の運転するレガシィ、早い。この時、初めて280馬力のレガシィに感謝した。
瞬く間に病院に到着。
痛い、とにかく痛く、歩くのもままならない。
嫁の肩を借り、とぼとぼとゆっくり歩く、歩くたびにズキズキと痛みが脳に伝わる。
なんとか病院の救急受付にたどり着き、問診票を渡され、症状などを記載し、看護婦さんに手渡す。
もう、限界だった。
看護婦「検査するので、CT検査室まで行ってくださいね。歩ける?」
私「歩けません・・・・・。」
看護婦「じゃー、あそこにある車椅子使って、奥さん、押してあげてね!」と慣れた口調で私と嫁さん伝えた。
車椅子初体験。
わーい(⌒▽⌒)、車椅子だ!嬉しいなっっ!という余韻を楽しむこともできず、妻が押す車椅子でCT検査室に移動する。
CT検査室到着。
CT検査室は真っ暗だった・・。
誰もいないのか?と思った瞬間、電気がつき、検査室から人の良さそうな技師さん登場
技師「どうぞ〜なかへ」と手招きされ、検査室に入った。
グルグル回る機械みたいなCTの中に吸い込まれる。
「(目が回る・・腹いて〜。助けて)うっっ・・」と耐えること10秒、検査が終了した。
CT検査室から、車椅子で待合室に移動。
痛さは一向に治らない。ケツまで痛くなってきた。
何分待っただろうか、痛さはピークに達していた。意識が遠のく、これは現実なのかと思い始めたところで、看護婦さんが登場した。
看護婦「検査結果が出ましたので、先生のところへどうぞ〜」
私「は・・・い。」
車椅子で先生の前に移動。
いかにもという風貌(メガネ、面長、痩せ型、白衣)の先生。
先生「盲腸、急性虫垂炎です。かなり進行しており、腹膜炎になる可能性があるので、手術する必要があります。すぐ、準備します。」
私「・・・・っえ、もうゔょう!手術ですかっ」
先生「はい。盲腸の進行が遅ければ、薬で治療することができますが、あなたの場合は、もう手遅れです。」
私「(がーん)わかりました。。。」
主治医「今回は、腹腔鏡手術といって、お腹に3箇所穴を開けて、そこに内視鏡を入れて盲腸を切り取る手法をとります。全身麻酔で、だいたい2時間ぐらいですかね。」
私「ゼンシンマスイ・・・。(怖い、怖い、そのまま目覚めないかも・・怖い)」
と恐怖に怯えていたところ、待ち構えたように看護婦さん登場。
看護婦「じゃー手術の準備をするので、こちらへどうぞ」と処置室に案内される。
私「(盲腸って確か、あそこの毛を剃られるんだよね・・いやダーーー)」
看護師「じゃーお腹に3箇所穴を開けるので、体毛を剃りますね。」
私「(そらきた!想像していたとおりだ!全部剃られる、わーい(⌒▽⌒))・・」
看護婦「ギリギリまで、パンツ脱いでください。」
私「(ギリギリってどこまで・・・)わかりました・・。」
陰毛が少し、見えるぐらいまでパンツを脱いだ。
看護婦「はーい。いいですね。じゃー剃りますね。」
ジョリ、ジョリ、ジョリ、陰毛、ジョリ
看護婦「はーい、剃り終えました。次は・・」
私「(次もあるのかい)」
看護婦「手術をするので、鼻からチューブを入れまーーす。」
私「え、なんで入れるんですか(単純に疑問だった。)」
看護婦「手術中に嘔吐する場合があるので、チューブを入れて、手術前に胃を減圧するために入れるんですよ。」
私「そうなんですね・・。」
看護婦さんが、チューブを取り出し、そのチューブにローションを塗り始めた。
看護婦「じゃー楽にしてくださいね、入れますよーーー。」
チューブが私の鼻の中に入る。ヌルっと。
私「(意外にすんなり入るな)・・・・・・」
チューブが喉を通った瞬間。
私「ゲホッFんしんdふぃvんsゲホグググ、」
チューブが喉に絡まる。とにかく苦しくて、思わず自分で引き抜いてしまった。
看護婦「ああー、ダメですよ!」
看護婦は、意気地なしという目で涙目の私をみた。
私「すす、すみません。苦しいです、、、」
看護婦「しょうがないですね・・。もう一回やりますからね。ラクーーーにしてください。」
私「はい」
私は、眠るように目を閉じ、力を抜いた。この時には、なぜか腹の痛さは治っていた。チューブを鼻に入れる方が痛かったのだ。
2回目、なんとかチューブは胃に到達したようだった。
看護婦「頑張りましたね!以上で、準備は完了です。じゃー手術室に行きますので、このベットに寝てください」
ベットに寝た。
私「(全身麻酔効かなかったらどうしよう・・怖い。目覚めなかったらどうしよ)」
と恐怖と不安が突然襲ってきた。
思わず、傍にいた嫁の手を握った。
手術室の前で、嫁と最後の別れの挨拶をし、手術室へ向かった。
前編終了
もう最悪の思い出ですね。
腹の痛み、チューブの痛み。痛み痛みの連続。
術後はもっと最悪でしたが、それはまた後日書きます。
それでは、また。