思いつきな生活

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【うつ病経験者が語る】精神疾患(うつ病)者の入院生活について【その2:1回目の入院から退院の過程】

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精神疾患(うつ病)者の入院生活について、今回は「1回目の入院から退院の過程」について書いていきたいと思います。

 

www.sykar.net

 

入院に必要な物って結構あるんだなーっというのが、第一印象でした。

 

ゴミ箱、寝巻き、私服(精神科での入院は院内着ではなく、私服が多いそうです。)、歯ブラシ、コップ、筆記用具、シャンプー、洗顔フォームなどなど、大きなゴミ袋2つ分ぐらいの荷物がありました。

 

その大きな荷物を引き連れて、妻とともに病院へ・・・

 

エレベータで最上階の入院病棟まで登ります。

 

ちょっとしたロビーがあり、エレベーターの向かいがナースステーション、エレベーター向かって左手が病棟で、両方とも鍵付きの重い扉で施錠されており、中に入るためにはインターフォンを押して、看護師の許可が必要となってました。

 

恐る恐る、インターフォンを押し、「本日から入院する『えびろぶ』です。」と小声を出しました。

 

「はい」とう甲高い声の返事と共に、ナースステーションの奥から女性看護師が現れ、重い扉が開けられ、中に入るよう指示を受け、奥の面会室に通されました。

 

面会室はかなり狭く大人3人がようやく座るスペースしかなく、かなり閉鎖的で落ち着かない場所だったとの印象があります。

 

看護師から入院に際しての注意事項の説明があった後、入院同意書にサインをし、最後にナイフなどの危険物を所有していないかなどのチェックを受けました。髭を剃るためのカミソリをもっていたため、それは刃物なのでダメとのことで、ナースステーションに預けることにしました。(使用する時は、看護師立ちたいのもと髭を剃る。)

 

すべての手続きを終え、病室に向かう時、妻との別れを惜もうとしたのですが、すでに妻はエレベーターで帰っていました・・淡白な妻・・・。

 

そして、看護師に案内され、病室へ・・

 

フロアは比較的軽症者and症状が思わしくないの2つに分かれておりました。

 

私は比較的軽症者のフロアでした、フロアの端には、喫煙所及び休憩スペースがありましたが、その時には誰も居ませんでした。

 

病室は、二人部屋でした。ベッドを置くぐらいのスペースしかなく、かなり圧迫感を感じ、部屋全体が白だったので無機質であると印象です。

 

同部屋の患者さんは初老の男性で、昼寝をしてました。看護師から簡単な説明を受け、荷物を置いて、とりあえずベットに横になりました。異常に天井が綺麗だったというのが印象的で、1時間ほど時が過ぎた時でした、隣の患者さんから突然挨拶をされました。感じの良い方でニコニコしながら、世間話を始めました。

 

タバコのこと、隣のフロアにはカフェイン中毒の患者がいる、貴重品がよく盗まれるなど、この病棟の情勢も教えてもらいました。

 

話している最中、「この人はどこが悪くて入院しているのだろうと??」との疑問が湧き、単純に訪ねてみました。

 

答えは「アルコール中毒」でした。

 

何度も入退院を繰り返しており、今回はすでに2カ月入院しているとのことでした。本人もあまりアル中のことは話したくないのか、話題はすぐに外れて、また世間話を話し始めました。

 

悪い隣人ではないので、一安心した記憶があります。

 

一安心したところで、夕食の時間となりました。夕食の時間はきっかり18時と決まっており、休憩スペース前の廊下に配膳車が設置され、自分の氏名が記載されたプレートを取り出します。食事は、休憩スペースでも良いのですが、私は何となく病室で食べることにしました。

 

肝心の味は、最悪でした・・・。

 

見た目も味も何もかも最悪、一口しか食べれず、その日の夕食は終わりました。

 

食事も終わり、横になっていたところ、休憩スペースから賑やかな声がしてきました。行方不明者を探し出すというTV番組を4、5人の男女があれよこれよと意見を言いながら視聴している声が病棟内に響き渡っています。

 

あまりにも賑やかだったので、喫煙所に行くついでに男女の観察をしてみました。

 

元気で、ハキハキしゃべる様子を目の当たりにし、なんで入院しているのだろう??!!という疑問が湧いてきました。

 

喫煙所から病室に戻りTV番組が終わるまで、賑やかで笑い声がフロアに響き渡っておりましたが、21時に病棟は消灯します。さすがに消灯後はさきほどとは打って変わって深海のような静けさが訪れました。

 

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21時以降の病棟内は、信じられないぐらいの静けさで、たまに咳やくしゃみなどの音が聞こえるものの、それ以外は、看護師の足音だけ・・、あまりの静けさに不気味さも感じました。

 

看護師の巡回は一晩で4、5回ありました。おそらく何か異常はないかとか自殺?!していないかの確認のためだと思います。最初は、病室に入ってくるたびに目を覚ましていたのですが、2、3日したら、まったく気にならなくなりました。

 

ちなみに私は眠られないという症状はそれほど強く現れませんでした。

 

中途覚醒、夢をよく見る、などの眠りの浅さはありましたが、眠れないという地獄は味わったことはありませんでした。

 

そして、朝6時 

 

一気に病棟内の電気が点灯します。

 

眩しいという感覚で目覚めます。

 

太陽光なら気持ちいかもしれませんが、蛍光灯の眩しさはあまり気持ちの良いものではありません。

 

そして、朝7時、朝食の時間です。 

 

きっかり時間通りに配膳されます。

 

これもまずい・・・、、けど昨日の夕食をほとんど残したため、腹が減っていたのでしょう。すべて食しました。

 

そして、検温、看護師から渡される薬などのルーチンが終わったらひたすら、暇な時間が訪れます。

 

ただ、昨日賑やかだった人たちは病棟内で楽しそうにおしゃべりをして時間を潰していました。

 

私はというと、タバコを吸うことぐらいしかやることはなく、ただ時間が過ぎるのを待っていました。

 

このような日を2、3日繰り返していくうちに、退院したいという気持ちが芽生えてきました。

 

そして、主治医との面談時に「だいぶ良くなったので、外泊したい」旨の相談をし、あっさり承諾され、外泊をすることになりました。

 

外泊は2泊3日の予定で、さっそく妻に迎えにきてもらいました。

 

妻からは外泊するの早すぎない??との問いかけがありましたが、大丈夫の一点張り、そう、単純に病院から抜け出したかったのだ。

 

家について妙に安心し、リラックスできたのは、今でも覚えている。

 

翌日・・・。

 

なんと娘がインフルエンザに罹患していることが判明した。すぐに病院に連絡すると、取り敢えず一週間は病院に戻ってこないでくれとの回答があり、日々を過ごしていたのですが、次は次男がインフルエンザに罹患。

 

病院からさらに一週間病院に戻らないように指導され、自宅で療養。

 

その間、症状は少しづつよくなったような気がし、途中、その旨主治医に相談した。

 

その結果、このまま退院することになった。

 

というわけで、1回目の入院生活は、よくわからないまま、ただ単に病院がいやで外泊をしたら、不運も重なりそのまま退院という、妙な結果となった。

 

そして、退院してから悪魔のような地獄の日々を送るとは思いもしなかったが、それはまた別の話。

 

以上です。

 

次回は2日目の入院について書いていこうと思います。

 

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