思いつきな生活

日々の出来事を記していきます、ときどき写真。

2020年の振り返り

毎年嘆いているが、今年も光の如く早かった1年が終わりを迎えようとしている。

 

特に今年は仕事及びプライベートでもコロナ感染症の対応に追われて、例年になく、1年の経過が早かったように感じます。

 

コロナに始まりコロナで終わる。

 

まさにそのような1年でしたが、令和3年はコロナで始まることは仕方がないですが、終わりはコロナ終息を願うばかりです。

 

さて、これから1年を振り返りたいと思いますが、今年は一言でいうと、「コロナだったけど飛躍、TRYの1年だった」でした。

仕事、プライベートともに充実しており、新たな目標や成し遂げた事柄など、何にでも取り組む意欲が例年以上に強い1年でした。

 

それでは、1月から振り返っていきます!

 

月振り返り

 

 

1月:初めて一人でBarに行った

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20代の頃は一人でも蕎麦屋に行くのが嫌だったが、現在はどこのお店でも一人でいくるようになった。そして、若い頃には考えられなかったが、ひとりでBarに行った。お酒は勿論楽しみましたけど、バーテンダーとの会話が本当に面白かった。聞き上手、話し上手、もうプロですね。調子こいて葉巻なんかも吸って、Barを満喫。お会計は1万円超え笑。。でも良かった・・。

 

2月:台湾ラーメンの店、味仙にハマる

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コロナ禍の中、出張で名古屋に。仕事を無事終えての楽しみは出張飯ですよね。ということで期待はしていなかった台湾ラーメンを食べに味仙へ行きました。もう、完璧に味仙の虜ですね。台湾ラーメンは勿論ですが、ニンニクチャーハンも美味。ここはやばかった、あとウェルビー今池に行きサウナ沼にも足を踏み入れました。

 

3月:サウナドリンク、オロポに出会う

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サウナのためのドリンク、オロポ。サウナーなら誰でも知っているドリンクですが、知らない人のために、若干説明します。ずばり、THE水分補給最強ドリンクです。サウナで思いっきり汗をかき、身体中の水分が抜けている状態で、このオロポを飲むと、水分が細胞に行き渡っていると実感できるのです。気分爽快という言葉が一番似合う飲み物です。

 

4月:人生一の腰痛に苦しむ

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もう最悪でした腰痛。原因は特にわからず、腰に違和感を感じてから徐々に痛くなり、横になってても激痛が走るという最悪の事態に。病院にいくも原因が特定できず、内臓が悪いのかと疑いながらも、湿布や整骨院での電気治療などを続け、なんとか徐々に良くなっていった。原因もよくわからず、地獄の痛みとはこの腰痛のことなのではないかと思った4月でした。

 

5月:コロナ禍での外出自粛で庭整備を本格的に行う

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コロナでの外出自粛、皆さんはどのように過ごしていましたか?

私は、庭いじりをしてました。そして、玄関横のちょっとしたスペースが荒れていたので憧れの芝を貼りました。青青とした芝は目の保養となり、コロナでやられた心がちょっと安らぐ、良いアクティビティとなりました。

 

6月:イラストにハマる

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どうですか?結構、上手いでしょう?

そう、イラストにハマったのです。文房具屋でコピックっていうペンに出会ったのがきっかけです。このコピックは1本200円以上する高級ペンですが、書き味、色合いが何とも心地よく、初めて絵を描くのが楽しいと感じました。今もたまに書いてますが、絵って時間を忘れ、何か頭の中をリセットできるものです。

 

7月:息子の少年野球チームが優勝、さらにMVP獲得

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 コロナで開幕が遅れていた少年野球がやっと再開し、息子が所属しているチームが見事優勝しました。そして、先発完封の息子がMVPを獲得し、本人や家族共々良い思い出ができました。これからも少年野球との関わりが続くので楽しんでいきたいと思います。

 

8月:世界自然遺産知床で野生のヒグマに出会う

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 子供達とプチ旅行に出かける。行き先は北海道知床。そう、世界自然遺産である。コロナ禍でインバウンドがゼロになり、大打撃の北海道観光業界。繁忙期であるこの時期も観光客はまばらであった。私たちはヒグマに出会うため、知床の観光船に乗船し、遭遇率90%以上の野生のヒグマに出会いました。THE自然、北海道!ただ、ヒグマは個体管理されているのか、首輪がはめられていました・・・。

 

9月:ドローンを操縦した

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イベントで空撮を行うため、ドローンをレンタルした。きびきびした動き、4K動画の美しさ、行けないところでの撮影など、初体験のドローンの魅力にどっぷりハマり、いつか購入をしようと決心した9月でした。

 

10月:究極のスチームサウナに出会う

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登別温泉の第一滝本館を訪れ、ふっとサウナに入った。まずはノーマルサウナ、至って普通のサウナであった。隣にスチームサウナがあり、在り来りのものを想像しながら扉を開けると、もう、それはすごかった。まずは温度。50度と書いてたけど、湿度が高めなのでもう、体感はかるく100度超え。湿度は驚きの100%、そりゃ体感がすごいわけだ。一瞬で、体が出来上がり、水風呂後はすぐととのいました笑

 

11月:料理で超高級なものを作ってしまった

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料理もこだわってしまう笑、とうとう最高級なものを作ってしまった。道産牛のヒレ肉にフォアグラを乗せたロッシーニ風。家族には、味は好評でしたが、値段は凄かった。

 

12月:今頃鬼滅の刃にハマる

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あれだけ、読むことを拒んでいた鬼滅の刃にどハマり。

映画館で劇場版を読み、涙。続編を望む。

 

まとめ

こんな感じで1年を過ごしました。

まートータルしたら色々なことにチャレンジし、トライした1年で飛躍の年だったのではないでしょうか。

 

来年はどのような年になるのでしょうか?!

 

 

 

 

【うつ病経験者が語る】精神疾患(うつ病)者の入院生活について【その2:1回目の入院から退院の過程】

精神疾患(うつ病)者の入院生活について、今回は「1回目の入院から退院の過程」について書いていきたいと思います。

 

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入院に必要な物って結構あるんだなーっというのが、第一印象でした。

 

ゴミ箱、寝巻き、私服(精神科での入院は院内着ではなく、私服が多いそうです。)、歯ブラシ、コップ、筆記用具、シャンプー、洗顔フォームなどなど、大きなゴミ袋2つ分ぐらいの荷物がありました。

 

その大きな荷物を引き連れて、妻とともに病院へ・・・

 

エレベータで最上階の入院病棟まで登ります。

 

ちょっとしたロビーがあり、エレベーターの向かいがナースステーション、エレベーター向かって左手が病棟で、両方とも鍵付きの重い扉で施錠されており、中に入るためにはインターフォンを押して、看護師の許可が必要となってました。

 

恐る恐る、インターフォンを押し、「本日から入院する『えびろぶ』です。」と小声を出しました。

 

「はい」とう甲高い声の返事と共に、ナースステーションの奥から女性看護師が現れ、重い扉が開けられ、中に入るよう指示を受け、奥の面会室に通されました。

 

面会室はかなり狭く大人3人がようやく座るスペースしかなく、かなり閉鎖的で落ち着かない場所だったとの印象があります。

 

看護師から入院に際しての注意事項の説明があった後、入院同意書にサインをし、最後にナイフなどの危険物を所有していないかなどのチェックを受けました。髭を剃るためのカミソリをもっていたため、それは刃物なのでダメとのことで、ナースステーションに預けることにしました。(使用する時は、看護師立ちたいのもと髭を剃る。)

 

すべての手続きを終え、病室に向かう時、妻との別れを惜もうとしたのですが、すでに妻はエレベーターで帰っていました・・淡白な妻・・・。

 

そして、看護師に案内され、病室へ・・

 

フロアは比較的軽症者and症状が思わしくないの2つに分かれておりました。

 

私は比較的軽症者のフロアでした、フロアの端には、喫煙所及び休憩スペースがありましたが、その時には誰も居ませんでした。

 

病室は、二人部屋でした。ベッドを置くぐらいのスペースしかなく、かなり圧迫感を感じ、部屋全体が白だったので無機質であると印象です。

 

同部屋の患者さんは初老の男性で、昼寝をしてました。看護師から簡単な説明を受け、荷物を置いて、とりあえずベットに横になりました。異常に天井が綺麗だったというのが印象的で、1時間ほど時が過ぎた時でした、隣の患者さんから突然挨拶をされました。感じの良い方でニコニコしながら、世間話を始めました。

 

タバコのこと、隣のフロアにはカフェイン中毒の患者がいる、貴重品がよく盗まれるなど、この病棟の情勢も教えてもらいました。

 

話している最中、「この人はどこが悪くて入院しているのだろうと??」との疑問が湧き、単純に訪ねてみました。

 

答えは「アルコール中毒」でした。

 

何度も入退院を繰り返しており、今回はすでに2カ月入院しているとのことでした。本人もあまりアル中のことは話したくないのか、話題はすぐに外れて、また世間話を話し始めました。

 

悪い隣人ではないので、一安心した記憶があります。

 

一安心したところで、夕食の時間となりました。夕食の時間はきっかり18時と決まっており、休憩スペース前の廊下に配膳車が設置され、自分の氏名が記載されたプレートを取り出します。食事は、休憩スペースでも良いのですが、私は何となく病室で食べることにしました。

 

肝心の味は、最悪でした・・・。

 

見た目も味も何もかも最悪、一口しか食べれず、その日の夕食は終わりました。

 

食事も終わり、横になっていたところ、休憩スペースから賑やかな声がしてきました。行方不明者を探し出すというTV番組を4、5人の男女があれよこれよと意見を言いながら視聴している声が病棟内に響き渡っています。

 

あまりにも賑やかだったので、喫煙所に行くついでに男女の観察をしてみました。

 

元気で、ハキハキしゃべる様子を目の当たりにし、なんで入院しているのだろう??!!という疑問が湧いてきました。

 

喫煙所から病室に戻りTV番組が終わるまで、賑やかで笑い声がフロアに響き渡っておりましたが、21時に病棟は消灯します。さすがに消灯後はさきほどとは打って変わって深海のような静けさが訪れました。

 

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21時以降の病棟内は、信じられないぐらいの静けさで、たまに咳やくしゃみなどの音が聞こえるものの、それ以外は、看護師の足音だけ・・、あまりの静けさに不気味さも感じました。

 

看護師の巡回は一晩で4、5回ありました。おそらく何か異常はないかとか自殺?!していないかの確認のためだと思います。最初は、病室に入ってくるたびに目を覚ましていたのですが、2、3日したら、まったく気にならなくなりました。

 

ちなみに私は眠られないという症状はそれほど強く現れませんでした。

 

中途覚醒、夢をよく見る、などの眠りの浅さはありましたが、眠れないという地獄は味わったことはありませんでした。

 

そして、朝6時 

 

一気に病棟内の電気が点灯します。

 

眩しいという感覚で目覚めます。

 

太陽光なら気持ちいかもしれませんが、蛍光灯の眩しさはあまり気持ちの良いものではありません。

 

そして、朝7時、朝食の時間です。 

 

きっかり時間通りに配膳されます。

 

これもまずい・・・、、けど昨日の夕食をほとんど残したため、腹が減っていたのでしょう。すべて食しました。

 

そして、検温、看護師から渡される薬などのルーチンが終わったらひたすら、暇な時間が訪れます。

 

ただ、昨日賑やかだった人たちは病棟内で楽しそうにおしゃべりをして時間を潰していました。

 

私はというと、タバコを吸うことぐらいしかやることはなく、ただ時間が過ぎるのを待っていました。

 

このような日を2、3日繰り返していくうちに、退院したいという気持ちが芽生えてきました。

 

そして、主治医との面談時に「だいぶ良くなったので、外泊したい」旨の相談をし、あっさり承諾され、外泊をすることになりました。

 

外泊は2泊3日の予定で、さっそく妻に迎えにきてもらいました。

 

妻からは外泊するの早すぎない??との問いかけがありましたが、大丈夫の一点張り、そう、単純に病院から抜け出したかったのだ。

 

家について妙に安心し、リラックスできたのは、今でも覚えている。

 

翌日・・・。

 

なんと娘がインフルエンザに罹患していることが判明した。すぐに病院に連絡すると、取り敢えず一週間は病院に戻ってこないでくれとの回答があり、日々を過ごしていたのですが、次は次男がインフルエンザに罹患。

 

病院からさらに一週間病院に戻らないように指導され、自宅で療養。

 

その間、症状は少しづつよくなったような気がし、途中、その旨主治医に相談した。

 

その結果、このまま退院することになった。

 

というわけで、1回目の入院生活は、よくわからないまま、ただ単に病院がいやで外泊をしたら、不運も重なりそのまま退院という、妙な結果となった。

 

そして、退院してから悪魔のような地獄の日々を送るとは思いもしなかったが、それはまた別の話。

 

以上です。

 

次回は2日目の入院について書いていこうと思います。

 

※うつ病が寛解してから、精神疾患に関する知識の吸収がものすごいことになってます。下記の双極性障害は、実はよく知られていない双極性障害が分かりやすく解説されてます。堅苦しく見える本ですが、実例などが多数紹介されてます。おすすめです。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【うつ病経験者が語る】精神疾患(うつ病)者の入院生活について【その1:入院までの過程】

前回は、「なぜ、うつ病になったか?自分なりに考察してみた」を題材としました。

 

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今回は、私自身が経験したうつ病による入院生活について書いていきたいと思います。

1回目のうつ病罹患時は、入院も経ることなく寛解し、仕事に復帰することができましたが、2回目のうつ病罹患時は、時間の経過とともに症状は悪くなり、思うように回復しませんでした。その過程については、以前、記事に記したので下記の載せておきます。

 

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入院は、2回目のうつ病罹患時に経験しました。

 

仕事を休んでいるので、1回目のときのように急激にうつ病の症状はよくなるだろうと思っていたのですが、2ヶ月経っても一向に良くなりませんでした。

 

次第に焦るようになり、さらに一向にうつの症状が良くならない自分を責めるようになりました。

 

そう、今思えば、この焦り、うつ病からの治り急ぎが回復を妨げていました。

 

なぜ、仕事を休んでいるのに!

なぜ、抗うつ剤を飲んでいるのに!

なぜ、早く治りたいという気持ちがあるのに!

 

なぜ、うつ病が良くならないのか?!?!?!

 

この「なぜ???」が、うつ病には禁物、禁句なのです。

 

考えれば考えるほど、自分自身を過度に責める。

 

この「なぜ良くならないのか?」と考えることが不毛で、無意味なことです。

 

もっと悠長に、気長にうつ病に向き合い、焦らず一歩一歩、回復の道を歩む、これがうつ病治療のいちばんの特効薬なのです。

ただ、最初からこのことに気づいて、治療に取り組める人はいないと思います。

 

経験があって、知る。

 

これが普通です。

(今、うつ病で苦しんでいる方へ⇨いつかきっと良くなりますので、気長に、焦らず、治療に取り組んでください、今は光が見えませんが、必ず見えてきます。)

 

このように、2回目のうつ病は、一向に良くならず、職場復帰の見通しも立たずに、ただ時が過ぎていました。

 

そして、職場の産業医から「一度、入院し、しっかりと休むこと」を考えてみてはいかかがでしょうか??との提案がありました。

 

提案の第一印象は、「精神科への入院・・想像・・怖い」しただけでも恐怖でした。

 

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小学校時代、帰り道に精神病院があり、入院患者が鉄格子から冷たい目で私を覗いている光景が今でも目に焼き付けていたのです。

 

(勝手な自分の想像妄想ですが)閉鎖病棟、鉄格子、頭がおかしい人ばかり、自由がない、ご飯が不味い

 

率直に入院は絶対やだ!との気持ちでした。

 

産業医からは、今の精神病院の入院施設はかなり改善していて、そのような怖いところではないとの説明をされた上に、更に妻からも入院を勧められ、私自身もこのままではうつ症状は良くなることはないと考えていたので、入院することを決めました。

 

通っていた精神科クリニックで、入院施設がある大きい精神科病院への紹介状を書いてもらいました。

 

そして、入院施設がある大きい精神科病院に妻とともに訪れました。

 

病院自体は、明るく、開放的な建物で、怖いというイメージは少し和らぎました。

 

そして主治医との面談です。

 

主治医は、非常にスマートに時間もたっぷりかけて、自分自身の話を聞いてくれました。

 

主治医からは、まずは入院して、ゆっくり休める体制を構築し、治療方針を決めていきましょうとの提案があり、翌日から入院することが決定しました。

 

これが、入院することになった経緯です。

 

次回は、実際の入院生活について、書きたいと思います。

 

 

 

 

●ちくま新書の「双極性障害」という本を最近読みました。精神疾患に興味がある方などにおすすめです。